トップページ » … » 2013年の情報 »

函館上映会 フォーラムワークシート集計結果

第8回北海道ユニバーサル上映映画祭函館上映会 シアターフォーラム 〜住み慣れたこの街で、安心して暮らし続けたい。フロア発言及びフォーラムワークシート集計結果

会期:2013年11月30日
会場:函館市総合福祉センター

■テーマ「ぬくもりのある地域コミュニティをつくるために
一人ひとりができることを考える」

ワークシート記入:25名
フロア発言:5名

・隣りに住んで居る人に声をかけ、私にも声をかけてもらいたい。プライバシーの保護ということ本人が嫌がると言うことを言われるが、行政のネットワーク、包括支援センター、民生委員等が力をつけて隣の人へ、向かいの人へ、後の人へ、近所に住んでいる人達がそれぞれ皆を気にし、助け合うことをどの様にすると良いのか考えていきたい。(居住地名の記載なし)

・映画「だんらんにっぽん」、大変よかったものです。地域の福祉を地域コミュニティーで考える、造る、行動する…という実態がよくわかりました。こうした映画を日吉の地域住民のみなさんに観てもらいたいと思います。○○○があれば、口コミで広げたいです。(函館市日吉町)

・大切だと感じることは、地域に住む一人ひとりの福祉意識の向上です。地域の中に施設を作っても、そこにどのような人が住んでいるのか、どのような場所なのかわからず、地域の人が素通りするようであれば、それはぬくもりのある地域コミュニティとは言えないと思います。一人ひとりが同じ地域に住む人への関心を高めたり、派生して福祉意識を高めることが重要と考えます。また私は大学のため函館市に来たのですが、もっと大学生が地域に入りこめる行事やイベント等仕掛けがほしいなと感じました。(宮前町)

・横川さんのお話にも映画の中にもありましたが、自分が支えられるだけでなく、支える側にもなる、そんな場をつくっていくことが大切だなぁと思いました。映画の中ではがんの患者さんだった方が緩和ケア病院でお茶を出すボランティアをしていることがステキだなぁと思いました。一人一人が生かせる場、生かせる地域がぬくもりのある地域になると思います。(榎本町)

・<1人1人の心の中の偏見を排除すること>・偏見を排除する一手法として、まずはいろいろなことを「知ること」から始める。(自分の「内面」を変えていく)・どんなに立派な施設などを作っても人の心が変わらなければ「仏作って魂入れず」ということになりかねない。(青森県むつ市)

・他の人の気持ちや状況をわかることが大切だと思っています。そのためには今回のような集まりや学習会に参加することにつとめています。日常的に障がい者に気付き、手伝い、手助けできることがないか目配りしています。(北美原)

・先ず関心を持って、気がついたことを気軽に笑顔と思いやる声で相手に伝える。行動する。若い年代の人に仲間に入ってもらうようにしたい。ささやかな趣味でも仲間づくり、向上心を育み合う姿勢で接する。(花園町)

・「はこだての家・日吉」をモデルケースにして函館市も一考して下さればありがたいです。福祉の町・函館と言われて久しいが、ほとんどは高齢者施設。障害者福祉に対する取組みは皆無に近い。いくら福祉計画(10年計画とか)を作成しても、くりかえしくりかえし、中味のないものと思う。もう少し実行してほしい。(居住地名の記載なし)

・手話で話しができる人を1人でも多くしていくこと!施設ではなく管理でもなく、1人ひとりが尊重される函館市をつくること。子どもへの暴力が(権利守ってほしい)なくなれば自然にそれぞれが生きやすくなるはず!!(居住地名の記載なし)

・地域で支える福祉。ボランティアだけでは本当に必要なサービスに繋げるのは難しい理想と思います。介護側、利用者の充実がなければ豊かな付き合いができない。財政面での豊かさもなければ人に対して思うような手助けができないと思う。(居住地名の記載なし)

・興味を持つこと(人、物など何でも)。話をすること、聞くコト。否定しないこと。制度ばかりにとらわれないこと。(事業所、日吉町。居住、陣川町)

・一人で生活している方が(高齢者の方)多くなっていると思う。一日誰とも話さないですごすこともあると言います。さびしいと言います。そのような方たちと一緒にお昼をたべたりおしゃべりをしたい。自分自身もゆとりがないとできないことですが。(神山地域)

・隣近所の人が声をかけあう(挨拶から)ことからはじまる。声を出せる雰囲気作りも大切な要素だが、まずは自分が勇気を出すことだと思う。福祉コミュニティエリアの形成ということと地域福祉の推進ということは福祉の必要な人間をかためるということなのか?函館全体がこのエリアであり、地域福祉であろうと思う。函館のどこに住んでも安心できるような福祉の町であってほしい。障害者は目、耳だけでなく、手足、内臓など不自由なとこを持った者が多数で老人はすべて障害予備軍である。(美原)

・高齢化社会は、私の町にも寄せてきています。50年近くつきあいのある方々が一人ぐらしに元気だった方、足腰が弱くなっている方など増えていますが、住んだ町に町会単位から支える体制の必要性を感じています。まず早急に支える(支えることが出来る)集団を増やす研修又は学校のようなものがあればと思っています。気持ちはあっても相手の気づかいやどんなことが喜ばれるのかわかりません。研修したから良いではないけれど、一歩進むことになりませんか。(函館市亀田本町)

・ふつうの人が声で話すことばは言語である。しかし私はきこえない。話すのも下手なので手話で話していることばは言語でありたい。みんなコミュニケーションがちがいますが、いろいろな手段をすべての言葉を言語として見てほしいです。手話は特別なものではありません。(居住地名の記載なし)

・先ず最初にいかに他人に対して関心を持つかというところから入らなければならないと思います。その上で相手が「障がい者」の方でも偏見を持たず自分と同じ「人間である」という意識を持ち、また思いやりや優しさを持ってその人に接していかなければならないと思います。人間という生きモノは他人に何か弱点があると常にそこを攻撃し、優越感を感じたがるモノですが、その人間独自の傲慢性を完全に捨てなければ良い社会は構築できないと思います。(函館市)

・まずは考え方を変える事かと思います。障害のある方に対して「同情」ではなく、「理解」し、更にそれを「個性」ととらえるレベルまで向上させる事だと思います。また支援や援助もともすれば無意識の内に(悪意は全く無くとも)上から目線になりがちですが、「共に生きる」意識で行う事が必要でしょう。自分もADHDなのですが、見た目では分からないし、一般には全く理解されていないので、どうにかして世間に理解して頂きたいと切望しています。(深堀町)

・1人1人の声がけ。そこから悩みや苦痛、楽しみを分けあい、相談しあえる場を。笑い声、笑顔のある場を広げてほしい。(居住地名の記載なし)

・高齢者、障害者、健常者、分けへだてなく共に支え合う共生という観点を難しく考えず、まずはお互いに接して感じることを大事に考えていければいいのかなと思う。お互いを理解し合う、支え合う気持ち、それぞれが何かできることを見つける。(居住地名の記載なし)

・どのような人でも自信を持てる社会、行政サービスが当然の権利として認められていてこそ、地域コミュニティにぬくもりが生まれるのだと思います。そうでなければ弱者とその周辺の人々を集めるだけの収容所でしかありません。私ができることは人を支えることか職業的な立場ですので、その人の持ち味を一緒に探していくことだと思います。(居住地名の記載なし)

・1人ひとりができること。身近には支援の必要な人(その支援は大きいことから小さいことまで幅が広いかもしれないが)に、周りの人がそれぞれができることをして、支援してあげれたらいいのではないか。自分にできる身の丈にあったことで、高齢者などへは話し相手になる、見守る、いっしょにあそべることがあったら、いっしょに障がいのある方へも同じでしょうが。またそれぞれがバラバラであれば動きにくいというのであれば、その方たちをまとめるという役割を担う人がいるといいだろうし、そのことがまた1人ひとりができることのひとつになるのではないか。(居住地名の記載なし)

・健じょう者の人も障害者もステキな仲間作りをしていけたら良いなと思います。日吉の家があちこちにできていく事がぬくもりのある地域コミュニティを作ると思います。(日吉町二丁目)

・自分のできる事を進んで声かけをためらわずに。(富岡町)

・答えとは違っているかと思いますが、認知症による暴力行為などにより訪問看護、訪問介護、訪問診療を包括支援センターとケアマネにあてがないと言われ、家族は離職し、通院などをしています。家族は子は無職、親の年金は減額され困りはてています。認知症対応型の訪問看護、介護、診療ができる人材センターなどほしいです。本当にせっぱつまっています。どこに相談してよいのかもわからず困っています。施設に入るお金を年金から使うと残された片親は生活できないのが現実です。包括支援センターも固定(指定)されてしまい、そこでダメならどうすればよいのでしょうか?はこだての家日吉は障がいのある方と限定されているのでしょうか?健常者との共生は刺激的(←適しているかわからない?)ではありませんか?(居住地名の記載なし)

・おはなしを聴いた上で、人材養成が第一の課題です(接遇も含めて考えます)。これからの課題ですが息の長い仕事として捉え、日常出来ることは、地域の人たちとの関係をもつこと、しゃべり合えること。(学校も巻きこむことが大切です)
その他、1)米、北欧視察しましたが、(アメリカは格差大でした)高齢者自身が、その国の文化・技術・趣味をもっていて楽しみながら施設でくらしている。その施設には、織り機があったり、市民と交流が出来る空間をもったり。2)講師の論の組みたてよかったですよ。(人見町)

以下は、フロアからの発言です。

・みなさん、初めまして。実行委員をやっている横川と申します。書きながら聞いててください。今の、フォーラムの中で、お二方の話を聞かせていただいて、函館市はこれからをイメージしている。「はこだての家 日吉」の話を聞くことができ、ありがとうございました。「自立の風かんばす」というプログラムに、資料を入れさせてもらっているので、時間があるときに、みていただければと思います。
私たちの活動を紹介します。障がい者の自立生活支援を行っている団体です。障がいを持っていると、支援をされる側だと思う人が多いと思いますが、障がい者でも支援する側になる。自分ができることをする。相手も自分ができることをする。お互いに相手を支えることにつながると思っています。今日の、ワークショップのテーマは、ぬくもりある地域コミュニティということで、それぞれ1人1人ができること。ですが、それはすごく難しいことと思う。集まるだけではぬくもりは生まれない。ぬくもりがあると、考えたときに一人ひとりが自分の持ち味を生かすことで、自分の持ち味をだすとその中の役割が生まれ、それがぬくもりになり、それがじぶんだけではない違う人の支えになりたいという思いになるのではと思う。人の持ち味を生かすのはまずは、自分の持ち味を生かしていくというのが、ここにでた、「ぬくもり」につながっていくのかなと思います。私ができることは、障がいを持っていることでできること。今日、来ている方々は様々な立場の人が来ているが、いろんな経験を積んだ方、これから社会をつくる若い方、常に生活の中でいろんな立場の人がいて、見える時点であるものがあると思う。自分で気付いたことを書いて、そうすると、今後どうしたらいいのかとわかる。これからも障がい者の支援をして、地域コミュニティにつなげていきたい。ありがとうございました。

・ユニバーサルの副実行委員長の清野です。一言ご挨拶がてら意見を述べさせていただきます。種田さん、和泉さん、すばらしい、お話、ありがとうございました。また、副理事長の石井さん、そのお気持ちもよく分かる気がして、大変短い時間でしたが、有意義でございました。そこで、ひとつ、話させていただいて、よろしいでしょうか?
どの箇所も、お話の中身は大変、感銘を深くしましたが、特にですね、私が強調したいのは、人の考え方。町会にいても、あるいは、ユニバーサルでも、あるいは、急に目が見えなくあったから、施設に入るといった場合でも、全ての点で言えることは、物の考え方だと思います。人材育成は、24時間有償の形が必要と思うが、それは手続きとして、健常者等が考えること。長いこと、教育畑におりましたので、こんな事いっていいのか、声をかけなきゃダメなんだとか、こういうことが出来るような人材を作っていきたい。つい、昨日も、同窓会の関係で会合があったのですが、見たことない人が、あれ、わかった。声を出せない手術をした男の方ですが。どうして、今日、ここにいるの?と聞いたら、とってもいい施設、あるところに入ってるんだけど、だんだん声が出るようになったと。話したいんだ、人の顔と、一対一で、家に閉じこもってないで。男の人ですけどね。70いくつの方。「しゃべりたいんだ」、これなんですね。それも含め、人材育成というものの中に、広げての包括的なカリキュラムをもっていきたい。それでも1つか2つしかお手伝いできないが、それで、副実行委員長という大切な仕事をみなさんによりかかりながら。私にはとても大切な勉強。どうぞ進行役の大橋先生も大学で、教えていらっしゃるから、是非、お聞きしたい。人を教える立場の方に、こういう話しを聞かせたい。教員に聞かせたい。そういうことも、お考えいただきたいという思いで、あまりまとまらないが、一言話しました。
後、もうひとつ。シートに、書きましたが、ヨーロッパでもどこでもとっても、楽しく高齢者が暮らしている施設は、その国の伝統的な文化を持っている。何か技術を持っている人間を作らないと。文化等を愛せる人で、それを満たしてくれる、空間が施設にあるというのはすばらしことだな、と。今でもつい申し上げることです。
失礼しました。

・函館に住む、聴覚障がいを持つ、石井です。今、当然のように、手話を言語として、音声言語を使いません。このような場では、声を出してお話をする方が殆どだと思います。それは当然、言葉として使ってコミュニケーション手段と思っていると思います。私は声を出して、話すことができないが、そのかわり、手話というツールを持っています。文化と言うお話があったが、コミュニケーション手段は、音声言語だけでなく、目で見るコミニュケーションもあると認識をしていただけたらいいと、ずっと思っています。手話は特別ではなく、あたり前と認識して欲しい。聞こえない人の文化は、「手話」という言語です。世界の国々に文化があるとお話でしたが、日本の中にも、「日本語」と、「手話」という文化があると知ってほしい、函館から、これを発信できればいいと思う。みなさま宜しくお願いします。

・こんにちは。ユニバーサルホーム函館の一員の、大浅です。初めは、若いときから、仲間が一緒に集いたいと、そのようなところが欲しいとずっと活動をして、札幌までいって、友達と、夢の会を作って老後仲間で住みたいね、できれば、冬は伊豆あたりで過ごして、夏は函館でと夢の会NPOを作ろうと札幌にいった。主人の親が病気になったりして、帰って来て、ここに帰ってきたところ、有田さんとかが、もしできるなら、うちの2階で、出来るならここの3階で出来るのではないかとまずみてこようと、函視協(かんしきょう)、函館視覚障害者福祉協議会で、江別に見に行った。帰ってくる時に、ここからたくさん、江別のホームに見に行って、私たち帰るときも寂しくてその人たち、仲間を置いて帰るのがすごく悲しくて。そのとき話したときは私たちも哀しいが、残してきた人も哀しいと話していた。今まで過ごしてた、函館にいられない人はもっと寂しい。函館にそういうのをつくったいいと。有田さんの奥さんが言った。私たちばかりでなく聴覚の人も入れる、施設にしようと。ぬくもりはいろんな仲間が入って、健常者も障害者も入って、そこで関わり合いがでて、何を本当にできるか、みんなの心が解けてそういう施設ができるのではないかと。視覚障がい者はできることが少ない。何ができるかと言うと、お話を聞いてあげるとか、くたびれた人に指圧をしてあげるとか。そのようなことを理解して、みんな入っている人が、聴覚の人は、私たちが迷っていたら連れて行ってくれるとか、お互いにできることをちょっとずつしていくと、ぬくもりがあっていい施設ができるのではないかと思う。だからそういうことを、さっきから、話していますが、自分が関わり合って、何か、人のためにできることをして、「ぬくもり」を持った家庭や市や町や社会ができていくのかな、と、思っています。自分の出来ることを少しずつ、みんなに、してあげるのが、いいかなと思っている。以上です。

・実は、去年の芸術ホールで、目の見えない人とか、足の悪いひととか、増えたんですよ。なんのためか、わかりません。障害者週間とかこんなことなら、なんのためにあるのか。二度と、してほしくない。あまりにもひどい。こんなことで、絶対に許さない。耳の障害者の人は不自由。
・今の方のお話しは、たぶん、耳の聞こえないことを、訴えたいのだけど、お話をできるので、聞こえないということが相手に聞こえなくて、芸術ホールで、不適切な対応をされたと、言っているのだと思う。(手話通訳者補足)
本当に、表に見えにくい障がいだと、なかなか理解してもらえず、不便なことがたくさんある。そちらのかただけでなく、色んな障害を持っているかたは、そういう不便というのをいろいろ体験されていると、思います。それを心の中に悔しいと思いをしまい込むのではなく、こういう、発言出来る場があるのが大切です。

以上

前に戻る | トップに戻る

コメントは停止中です。